現代音楽について

ウチで松倉さんと練習。昼過ぎに来ると言っていたが、着いたのは4時半。第一声は「お茶入れて」であった。お茶を入れたら床にこぼした。世が世なら切り捨てていたところだ。
一昨日を振り返り、3月8日darchaでのライブの打ち合わせ。初めて演奏する曲を含むリストを作成。こんなに間無く演奏したことがかつてあったろうか。無いと思う。どうなるか楽しみだ。
小澤征爾武満徹の対談集「音楽」を読んでいる。一度読んだ本なのだが最近読み直している。武満徹が『現代の人たちは我々が考えているほどには「現代音楽」を必要としていないのではないか?』という現場の不安を吐露している。クラシックはいまだに古いもの、古典がよく演奏され、同時代のものの演奏が少ない。今日の社会にとって、現代音楽の創造と演奏が本当に必要か?という問題。クラシックの財産はその長い歴史の中を生き残ってきた名曲の数々だ。しかし現代音楽の受け皿は無くしてはならないと思う。僕らが吸っているこの空気を譜面に書き記すのが作曲家の使命であろう。
しかし現代音楽がその難解さに没頭しているのも事実だ。不可解な現代音楽オンパレードの演奏会も多い。正直なところ僕にとっても、気持ちに寄り添うのは今でもなお、ベートーヴェンだったりフランクだったりする。だが、ビシビシ刺激を与えてくれるような作品がどんどん出てくると良いなと本当に思う。
このブログを始めた日、2月20日に聴いた武満徹の作品は本当に素晴らしかった。すっと胸に入ってくるというのでも無いし、始まった曲は解決を見ず終わってしまう感じなのだが、複雑な思考が感じられる。心がわっと外に飛び出すというより、中へ中へ導かれるような感じだった。
人は昔と変わらないのかもしれない。しかし毎日のニュースや世界の情勢や景気の具合に僕達の心は左右される。音楽も左右されて当然だと思う。結局僕らの心は些細な事に揺り動かされるのだ。