行く年来る年

pre-neophilia2006-06-07

怠惰に全てを投げ出してしまったとしても人は平等に年をとる。自分の意思とは無関係である点で、何だか人事のように思えてしまうことがある。動物には無論年齢の概念は存在しないし、その方が余程健全に日々を送れるようにも思える。それでも人は年を数え続けるし、その年に見合った生活の在り方のようなものを想起する。幼年期、青春、熟年、晩年。何事もカテゴライズした方が整理整頓しやすい。自分自身をカテゴライズする事もまた同様。人は生まれ落ちたその瞬間から死への一本道にいるのに、そんな悲しい目標を持ち続けることを敬遠し、常に少し先のゴールを建設する。近くのものを見つめ続けるあまり、近眼になって遠くがぼやけてしまうのだ。
僕の目が悪くなったのはエジプトに居た時だ。どこに行っても照明が暗かったのでそれが原因かとも思われるのだけど、放っておいたって目は悪くなるのだから本当のところはわからない。あれから十年余りが経って今神奈川の自宅で音楽事務所を立ち上げた。今から十年後何をしているかな。二十年後はどうかな。十という括りで考えてしまうのも人間の悪い癖だ(いや悪くはないか)。
今日から27歳。まだまだやることはたくさん。