荒川静香とトゥーランドット

ホットケーキが好きだ。ソーセージと一緒に食べる。しかしフライパンを一度暖めてから濡れ布巾で冷ませとは一体どういうことなのだろう。弱火のままではいけないのかな。疑問に思いながら言われるがままフライパンを布巾に乗せる。
荒川静香の活躍のおかげでプッチーニのオペラ「トゥーランドット」への注目が集まっている。パヴァロッティによる同オペラのアリア「誰も寝てはならぬ」で幕を開けたこのオリンピックは、我々日本人にとっては荒川静香の演技をクライマックスに「トゥーランドット」で幕を閉じた。
プッチーニ:歌劇《トゥーランドット》 [DVD]作曲家の中にはその晩年まで精力的に創作を続ける人も多く、その死によって未完成のまま残された曲が結構ある。モーツァルトのレクイエムや、ベートーヴェン交響曲第10番などがあるが、この「トゥーランドット」もその一つである。ここ何日かウチでは母が「トゥーランドット」のDVDを見ている。トゥーランドット姫が求婚してくる男になぞなぞを出し、答えられなかったら殺すという割とひどい話で、それでも姫に果敢に迫る王子の気持ちにはシンクロできないのだが、壮大な迫力と繊細なアリアに有無を言わさず感動させられる。荒川が正にイナバウアーという時に天から降りてくるように聞こえてきた「誰も寝てはならぬ」は王子が姫のなぞなぞを解き、逆に姫になぞなぞを出したその夜に国の人々に向け「誰も眠らず謎を解くのだ」と歌うアリア。その後王子の召使が拷問にかけられ、自刃する場面まで音楽を付けたところでプッチーニは死んでしまった。
ベートーヴェンは第九と10番は同時期に平行して作曲を進めていて、当初ベートーヴェンは第九を器楽のための交響曲、第10番は合唱を含むものとして構想を練っていた。結果合唱は第九に含まれたのだが、もし彼が当初の考えのまま第九を器楽のみの編成で発表していたとしたら、あの合唱は人の耳に届くことはなかったかもしれない。ベートーヴェンはあの「歓喜」を勝ち取ることが出来なかったのかもしれないのだ。プッチーニも全く違う「トゥーランドット」のフィナーレを用意していたのかもしれない。言いたいことは言っておかないといけない。
荒川静香は今回のオリンピックでクラシックの普及に図らずも大きく貢献している。今後も人々のクラシックへの注目の鍵を握るのはクラシック以外の文化でありメディアであると思う。クラシックはもっと差し伸べられた手を握るべきだ。