あいのり

昨日「あいのり」を見た。母が年末に録画した分を出してきてくれたので勢いで「あいのり」3時間スペシャルまで見てしまった。
嵐とヒデがアヤに告白するのだ。風の噂にその顛末は聞いてしまっていたのだがじっと見守る。
世の中に「あいのり」を敬遠する人が沢山居るのは至極当然のことだ。ワゴンに乗って国という国を横断縦断しながら半強制的(それを望んでくるのだから強制ではないな)に恋愛をし続けるとはあまりにも非現実的な話だ。「旅」がその非現実性に輪を掛けているのだと思う。旅人は常に文化を通過するだけで、異文化を投げ掛けることは出来ても、現地の文化の一員になることは容易ではない。文化的側面から見れば能動的傍観者とでも言えるかもしれない。アジアを、アフリカ大陸を、ヨーロッパをただ走り抜けながら恋をする。
そんなアンリアルな状況下、恋に悩む人たちの気持ちはしかしリアルだ。状況がリアルであろうが、アンリアルであろうが、とどのつまり高ぶっているその気持ちが全て。というパンチを「あいのり」からはお見舞いされる。
リアルと目されるこの世界においてどれほどのリアルな思いが日々人々に享受されているのだろう。むしろアンリアルにリアルな思いを託す傾向が年々強くなっているようにも思う。その狭間で繰り広げられる悶着は犯罪にまで至る。リアルの制裁はしかしアンリアルに歯止めを掛けられずにいる。
「あいのり」は楽しかった。でもヒデが抜けた今あまり見る気がしないのだ。