ViolonClassical#13

pre-neophilia2009-10-06

今月25日のViolonClassicalには久々に茂木建人君に出演してもらう。
演奏者に限らず人には調子が良いときと悪いときがある。僕もたまに飲み過ぎたまに寝過ぎる。時間があるときも無いときもあって練習が十分に出来るときと準備が足らないときがある。演奏会前日に好きな人と偶然帰り道が一緒になることもあればヤンキー(死語?)にからまれることもあるでしょう、きっと。
それでも僕の覚えている限り茂木君の演奏がイマイチだったことは無い。もう5年も前に井の頭公園の野外ステージで演奏をお願いした当時浪人生の茂木君が無伴奏のサックスでJ-POPを吹いて拍手が全く来なかったときも、新宿御苑前のフレッシュネスで茂木君が組んでくれたサクソフォーン四重奏団が一人のお客さんを前に演奏していたときも、演奏が終わったステージでお辞儀をしてそのまま自分で譜面台をかついで下手にはけて来たときも、neophiliaの第1回主催公演で演奏してくれたときも変わらず演奏のクオリティは高かった。少なくとも僕の耳にはいつも素晴らしい音が聴こえていた。そしてそんな茂木君がヴィオロンで演奏してくれるので自信を持ってお誘いしますYO!

2009.10.25(日)19:00
ViolonClassical#13
会場:名曲喫茶ヴィオロン
料金:¥1,000
出演:茂木建人(Sop. Alt. saxophone)、近藤祐加(Alt. Ten. saxophone)、石平彩香(Piano)
曲目はルクレールの二重奏曲、ミヨーのスカラムーシュ、ビンジのコンチェルト、長生淳の天頂の恋、プーランクオーボエファゴットとピアノのための三重奏曲。
チラシです。
ご予約は info@neophiliaclassical.com / TEL:03-3831-2607 まで。
お待ちしてます。

ダンストリエンナーレ トーキョー 2009

pre-neophilia2009-10-05

青山劇場に「ダンストリエンナーレ トーキョー 2009」を見に(聴きに)行く。
スティーブ・ライヒの「Drumming」に合わせて振り付けされたダンスステージ。「Drumming」は14人の演奏者によってライブで演奏されており、ダンスの振り付けはジネット・ローラン、ダンスカンパニーはオー・ベルティゴ。演奏に参加していた打楽器奏者、古川玄一郎さんから誘いを受けて行ってみた。
ステージは無音で始まる。一人のダンサーが舞台袖から中央へとゆっくり歩み出す。じきにパラパラとステージに集まってきたダンサーは男性4人、女性5人。一人の女性ダンサーが空中に手をかざし、それを待っていたように「Drumming」の演奏が始まった。「Drumming」はライヒが打楽器のみを使用して構成した楽曲で、それこそ気が遠くなるほどの拍が延々と様々な打楽器によって刻まれ続ける。拍は時にずれ、また重なり、少しずつ移行して行く。ダンサーは全員赤い髪の毛、グレイの服、黒い靴。絶え間ない打楽器の拍に合わせて止まる事無く踊り続ける。序盤は慌ただしく男女のマッチングが行われている。ように見えた。4組のペアが作り上げられるわけだけど必ず一人の女性があぶれる。とは言え悲しく孤立する暇も無くマッチングは入れ替わりまた別の女性が一人になる。さて、何を表現しているのかと考えるのだが良く分からない。自分が新婚であることもあり一先ず「夫婦たち」と仮定して眺めてみるのだけど、それにしてはあまりにも頻繁にパートナーを取っ替え引っ替えしているじゃないか。そんなことで良いの?あまり良くないのできっと夫婦では無いとすると、とさらに見る。全員が同じ格好ではあるけれども、男女の線引きは、はっきりと引かれているように思えた。多くの場合、男性は男性で揃って踊り、女性は女性で揃って踊る。でもいやそう思うとバラけたなあ、とやはり良く分からない。良く分からなくなってふとそうだ古川さんが「Drumming」を演奏しているんだ、と演奏に気持ちを移す。「Drumming」はとても刺激的な音楽だ。そしてその刺激があまりにも執拗に繰り返されるものだから刺激を受けている感覚が麻痺してくる。ある楽器、例えばそれはボンゴだったりするんだけど、その音が反復されている内に耳がボンゴの音を識別しなくなってくる。ある匂いをふと感じ取って、でもその匂いを嗅いでいる内にだんだんその感覚が薄れていくように、ボンゴの音を一定のリズムで長い時間聴き続けているとそれは「聴こえなく」なってしまう。あんなに強く叩いているのにシーンの背景に溶け込んでいってしまう。そして今ダンスの意味性は失われて、音の無い楽器のように見えてくる。やっとしっくり来たように思えたのは僕が音楽を聴きにその場に行ったからだろうし、踊りを見に行った人には打楽器の音が動きの無い踊りのように見えていたのかもしれない。結局のところダンスの意味は良く分からなかったけど、仮にそのダンスを「夫婦たち」と解釈して最後まで納得しながら見れていたとしても、その方が楽しかっただろうとは思わない。「良く分からないこと」に感動出来るということは、踊りや音楽のような、言葉に主体を置かない芸術の素晴らしさの一つなのではないかと思った。
外は雨。明日も雨。自転車に乗りたい。

ラーメン食べたい

pre-neophilia2009-10-03

「ラーメン食べたい」は矢野顕子のヒット(?)曲だが、本人の演奏を聴いた事が無い。僕の中の「ラーメン食べたい」は奥田民生氏の歌によるものだ。先日行った「京都音楽博覧会」では矢野さんのステージの後、民生さんがこの曲を歌っていた。二人で歌うところなんかも聴いてみたかったなあ。矢野さん本人の演奏を聴いた事が無いままの想像ながら二人の食べたいラーメンは何となくテイストが異なりそうな気もする。矢野さんが食べたいのは恐らく昔ながらの醤油の風味が利いた東京ラーメンではないだろうか。民生さんの好みは幅が広そうなので分かりません。
今週は頻繁にラーメンを食べた。火曜日に「蒙古タンメン中本」、水曜日に「二代目海老そばけいすけ」、木曜日に「黒兵衛」、金曜日に「めん屋いなば」。今日はラーメンを食べようと思い立って店に向かいながらふと「ラーメン食べたい」を口ずさんでいたりする。「ラーメン食べたい、一人で食べたい」と歌詞にあるが、ラーメンを食べる時は大体一人だ。奥さんはラーメンを自ら進んで食べようとはしないし、他に選択肢があるんだったらまずラーメンは選ばない。そんな訳で先日仕事の帰りに永福町の「大勝軒」に行ったときも一人だった。かなりの量のラーメン。美味しかった。お客さんは中年の男性客がほとんど。そんなお客さんたちを見回していると近くの席に座ったサラリーマンのところへじょうごとプラスチックの容器が運ばれて来た。何事かと思ったら食べ終わったラーメンのスープを持ち帰り出来るらしい。そのような行為が存在することに驚きながら眺めつつ、ふとエジプトに住んでいた頃「ラ王」を食べ終わった後にソーメンを湯がいて「替え玉」として食べていたことを思い出した。現地では「ラ王」は大変貴重な物資だったのだ。ソーメンもまた大変貴重だったのだが、それ以上にラーメンスープが重んじられていた。サラリーマン氏は持ち帰ったスープをどう使うのだろう。一人でソーメンを湯がくのだろうか。まさかね。

エナン復帰

pre-neophilia2009-10-01

ジュスティーヌ・エナンが復帰するというニュースを山手線のモニターで見た。
家ではテレビも見ず新聞も読まないのでヤフーのトップニュースとこの山手線ニュースのみによって時事情報を仕入れていたものだけど、最近じゃあ自転車に乗り始めて電車に乗る事もほとんど無くなってしまった。エナン復帰のニュースを見たのは先日のことだがきっと雨の日だったんだろう。
8年前、2001年のウィンブルドンはイギリスの部屋にあった白黒テレビで見た。日本でウィンブルドンと言えば夜中にやってるものだったけど本国じゃもちろん昼間に見れる。夏休みに入ってすぐ、ちょうど日本の甲子園を見るような感覚だ。まだ明るいうちからビールを片手にベッドに転がってテニスを見るのはなかなかのもので、それまであまり興味を持っていなかった競技だったけどちょくちょく見ていた。その年の女子決勝がエナンとヴィーナス・ウィリアムズのマッチ。ヴィーナスなんて見るからに強そうでこりゃあかんなあと思ったけどエナン自身はあかんと思っている様子は無かった。ヴィーナスに比べたら子供みたいに小さくて格闘技で言えば二つぐらいランクが違うように見えるそのベルギーの若いプレイヤーは真っ直ぐに相手を見つめ1セット目を落とした後の2セット目を取り返した。面白い競技だなと思った。ボールはすごい早さで移動するものの、ゲームの行方はスピーディーに展開するわけではない。ポイントの間にゆっくりと時間が持たれる。1セット目の1ゲーム目を全くボールに触れられずに落としてしまったとしてもその後いくらでも取り返せる。試合全体の色合いは実に様々だ。拮抗する立ち上がりからあっけない幕引きに向かう試合もあれば、まさかのどんでん返しもあり、クライマックスへ向かってジワジワと盛り上がってくる試合もある。最後の盛り上がりだけを見ればそれで良いというものでもないのだ。長い交響曲の最終楽章ばかりを聴いていたのでは同じ感動は得られない。結末はそれまでの道筋を辿って来たからこそドラマチックなのだ。第9のように苦悩を突き抜けて歓喜に至るその経緯を楽しむのだ。さてこの決勝も大変面白い試合だった。優勝はヴィーナス。
翌年はウィンブルドンまで観戦に出掛けた。一晩野宿して並び、センターコートの最前列、アンパイアの向かいの席に座った。試合は奇しくもエナン、ヴィーナスの準決勝。やはりエナンには何があっても試合を投げないという強い決意のようなものが感じられる。そしてテニスでは本当に最後の最後まで何が起こるか分からない。どうなるのか分からないトッププレイヤーの試合をウィンブルドンセンターコートで見るというのは今思い返してもやはり特別な体験だった。この年もエナンはヴィーナスには勝てない。しかしその後世界ランキングトップまで上り詰め、そしてトップのまま引退してしまう。
エナン復帰のニュースを見て嬉しかった。エナンと言いユニコーンと言いみんな帰って来るなあ。

シルバーウィーク

pre-neophilia2009-09-23

「シルバーウィーク」という名称が使われるのは今年が初めてですか。敬老の日もあることだしお年寄りを大切にする週間かと思いましたが「ゴールデンウィーク」と対となる連休だという意味なのでしょう。か?
そんな連休の初日は柏でバーベキューをして過ごす。思えばバーベキューなんてことをするのは生まれて初めてではなかったか。手探りでも一先ず美味しく食べられた。だって焼くだけなんだもの。家族や旧知の友人や初めて会う人たちと肉を焼きビールを飲んだ。日曜日には来日中のチェリスト、レオニード・ゴロホフと品川で待ち合わせて居酒屋で飲んだ。ドイツのハノーバーに移住したらしい。近所の湖で子供たちと泳ぐのだという。羨ましい限りだよ。月曜日に関西へ。マハタギヤでシッポ夫妻、姉夫妻とお酒を飲む。ちょうど探していたところだったのでハンガーラックをオーダー、送ってもらうことにした。
22日は京都へ。京都音楽博覧会。何せ奥田民生さんをどこかで見たくて探して見つけたイベント。若干遅れて到着したがちょうど矢野顕子さんのステージの始まりに間に合った。一人でさーっと出てきてピアノを弾いて歌を歌うだけなのに全く素晴らしかった。空の下、演出なんか何も無くて、ただ音楽家が一人でステージに居る。民生さんもギター一本。やはりどこにも演出なんかなくてただ彼がそこに居る。「さすらい」「ラーメン食べたい」「野ばら」「The Standard」と続いてくるりの岸田さんが参加し、民生さんから「がんばれカープ」という曲紹介があって始まったのは「息子」。続いて民生さんから「それ行けカープ」という曲紹介があって始まったのは、くるりの「ばらの花」だった。間奏で岸田さんが「すばらしい日々」のギターリフを挟む。ユニコーン再結成したしね。最後に民生さん一人で「カスタム」。これだけでも来て良かったなと思ったけど、続いてかなりの大所帯を率いて登場した石川さゆりがまた素晴らしかった。「津軽海峡冬景色」で始まり「舟歌組曲」では飛び跳ねるさゆりさん。「天城越え」も披露。一番盛り上がったんじゃないだろうか。改めて演歌の構造は良く出来ているなと思ったのは、間奏直前にきちっと盛り上がりを持ってきて、間奏入りでしっかり拍手をするタイミングをお客さんに与えることだ。ワーグナー以前のオペラアリアのように。さゆりさんの歌声を支えるバッグバンドも素晴らしかった。全出演者の中でこのバンドの演奏が一番タイトであったように思う。トリのくるりくるりらしい素晴らしいステージ。サポートのドラマーとキーボードのミュージシャンも良かった。京都でのフェスということもあったのだろう、アンコールの最後の曲は「虹」だった。思えばずいぶん前(まだ「すごいぞ、くるり」と言われていた頃)この曲でくるりを知った。フェスティバルが終わりジワジワと京都駅に向かい夙川の奥さんの実家へ向かう。遅くなってしまったがビールを飲ませてもらった。

遡って18日金曜日の「ViolonClassical#12」も無事終わった。若々しい面々が名曲揃いのプログラムを組んでくれた。やや枯れた趣もあるヴィオロンにどう馴染むかと思ったら意外と良く馴染んだ。フルートとサクソフォーンのカルテットという思い付きも変則的だけど音はしっかりマッチング。柔らかく優しい音でした。

いつも変わらぬ雰囲気で我々を迎えてくれるヴィオロンなのですが、今回は店の奥に馴染みのない顔が。「朗読の荒井先生」だそうですが渡辺勝さんに見えました。

信州に行ったり。

pre-neophilia2009-09-15

信州に行ったりもしていたのだった。
「信州に行こう」という漠然とした提案により奥さんと母と妹夫婦と母の友達と奥志賀高原に行ったのは8月15日のことだ。
ただただ酒を飲んでのんびりしていたら良いのだろうと思っていたら、奥さんにホテル内の「森の音楽堂」に連れていかれ、そこでリハーサルをしている小澤征爾を目にしたのだった。いわゆるドッキリ的なサプライズ企画であったのだが、音楽堂のすぐ外、50メートルほど離れた石段に腰を下ろしてリハーサル風景を眺め、ぼんやりと小澤征爾の動きと音を観察していると、その中に入り込みたい気持ちがムクムクと立ち上がる。なぜクラシックでなくてはならないのか分からないし、実際のところクラシックでなくてはならないのかという点については繰り返し自問するところでもあるのだけど、やはりそれは恐らくクラシックでなくてはならず、そのなぜだか分からないところもまたクラシックでなくてはならない一つの理由ではないかと思う。演奏会は現地のワークショップに参加した学生さんたちの演奏だったが、内容は素晴らしかった。そんななか小澤征爾が弦楽オーケストラを指揮したチャイコフスキーのセレナーデの演奏、第3楽章でちょっとしたハプニングがあった。一番後列で演奏していたチェロの女の子が突然座っていた椅子から倒れ意識を失ってしまったのだ。演奏は一時中断、その女の子は近くの病院に運ばれて行った。スタッフがぐるりと彼女を取り巻く中、少し離れたところに「うろたえる小澤征爾」が立っていた。見たことが無い風景だったけど、そりゃそんなこともあるんだろうなと思った。指揮棒が彼女を立ち上げることはない。ステージに立ち音楽とシンクロすることだけが人生じゃない。緊張による過呼吸が原因だろうとスタッフの人がアナウンスをし、その後第3楽章の初めから演奏は再開された。演奏会が終了した後、会場の外にジャンパーを着て(奥志賀は8月も肌寒い)現れた小澤征爾はくだけて良い感じだった。

引越をしたり。

pre-neophilia2009-09-14

引越をしたりしていたのだった。
写真は三週間ほど前のもので、今はだいぶ片付いている。色々探した結果、前の住処から500メートルほど離れたところに決めた。広範囲に候補地を広げて探していただけに少し拍子抜けな感じだけど良い場所が見つかって良かった。車の音がしないし川が近い。音楽が良く響く。そしてドアの隙間から虫やらヤモリやらが沢山入り込んで来る。東京と一口に言っても色々なのね。これも東京。
仕事には自転車で通う。安い安いジャイアント。自転車は楽しい。だいぶ抵抗があったけどヘルメットを被って乗る。なんで自転車のヘルメットってああもイケイケな感じなんだろう。靴もそうだ。スニーカーはかっこいいのが多いのにジョギングシューズとなるとイケイケのやつばかりだ。そんなにやる気を出すのはちょっと恥ずかしくない?と思いながら被る。
昨日渋谷のタワレコで買ってきたCDを聴く。PHISHの「JOY」、ビートルズ「MAGICAL MYSTERY TOUR」噂のリマスター版。1Q84で話題のジョージ・セル指揮「ヤナーチェクシンフォニエッタ」。引っ越しても相変わらずテレビは見ない。
8月30日の吉武さんのリサイタル、9月11日の神尾さんのリサイタルとも無事終わった。一安心。二人のこれからの演奏活動の足掛かりになれば何より。
9月18日(金)は阿佐ヶ谷ヴィオロンViolonClassical#12